2013年11月06日
ラムゼイ報告
昨日の版、レンタルで借りたスパイゾルゲという映画を見ました。ネットでの評判が酷評の嵐だったのですが自分の目で見ないことには解らないので見ましたが結論は。
評判通りでしたwストーリーもそうですが個人的にはアクションシーン。暴行を受けるシーンで手足が30センチ以上は離れているであろう場所で止まっているのが一番違和感がw
ゾルゲ、フルネーム。リヒャルト・ゾルゲ(ロシア語表記Рихард Зорге)は第二次大戦中日本の機密をソ連に流し続けたスパイとして有名ですね。
彼は、アゼルバイジャンのバクーという街でドイツ人の父とロシア人の母の元で生まれ。その後ドイツで暮らし共産主義に染まりモスクワで研修を受けドイツの新聞記者として表の顔は来日しました。
まあ詳しく調べればこのあたりは、私如きが言わなくても幾らでも出てくるでしょう。卑劣なスパイのイメージがありますが一人の人間でした。当たり前ですが。
私は彼の行為を日本人として擁護は出来ませんが哀れな人だと思います。日本滞在中に友達がいない。と漏らしていた話。
ドイツの対ソ攻撃を察知して報告していながらスターリンに信用されなかったこと。
彼は日本で死刑に処せられますが。私はどっちにしろ彼に生きる道は無かったのでは?と考えます。スターリンは二重スパイ疑惑を捨てなかったので。ソ連に戻ったところで粛清の犠牲になったと思います。
モスクワで研修中彼にロシア語を教えた女性と恋仲になり日本滞在中も手紙を送っています。何度か彼女に会いたいためにソ連に帰国願いを出していますが全て却下されています。
そしてゾルゲが日本で逮捕されたのとほぼ同時期に女性はモスクワで逮捕され処刑されています。もちろん言われなき罪で。
ゾルゲが死ぬまで彼女が粛清の犠牲になったことを知らなかったのは幸いといったところでしょう。
スターリンの没後。フルシチョフ政権時代にソ連英雄に選ばれましたが。スターリンは日本のゾルゲと日本人の交換の提案に対し。
そのような人物は知らないと回答していますが後にソ連自信がゾルゲが自国のスパイであったことを認めた形になりました。
ソ連英雄の称号を授与された時は彼は既にこの世にいないので。今でもモスクワの旧KGB本部には本人の手に永久に渡されない勲章が今も展示されています。
旧KGB本部、ルビャンカ現在もFSBが入って現役の施設ですが内部は一部公開され。ゾルゲの手に渡ることが無かった勲章が現在も展示されています。